飛騨の山あいの谷に暮らす、ひとりの中学生が書いた手紙――。両親を相次いで亡くし、それでも姉と支え合いながら前を向こうとする少年の言葉は、素朴な飛騨弁の温もりとともに、静かに胸へ響いてきます。坂口信弘の短編小説「手紙3 谷」は、悲しみのなかに宿る家族の愛と、生きることへの小さくも力強い意志を描いた物語です。へたな字で書かれたという手紙の向こうに、どうぞ耳をすませてみてください。
第一章 手紙のはじまり

ごぶさたしてます。このまえお手紙を出してから、はや半年もたってまいました。お元気ですか。田中のおばさんには、本当にお世話になりました。おばさんがいてくれなんだら、ぼくと姉ちゃんはどうなっとったかわかりませんでした。
この春からぼくは中二で、姉ちゃんは高校生になりました。悲しみやさびしさは消えることはありませんが、友だちもできて、毎日学校に行くのが楽しみです。友だちといると、心の痛みを、ほんのすこしでも忘れることができるからです。
少しずつ立ち直っていることや、これまでのことをお伝えしてひとつの区切りをつけようと、手紙を書くことにしました。区切りなんてつくわけがないことはわかっとるのに、おばさんには手紙を書きたいのです。
へたな字ですんません。
第二章 十二月のあの朝

十二月になってすぐのあの日、父ちゃんは町の工場に仕事に行くとき、
「今夜は寄るとこがあって遅うなるで、先に晩飯食っとけよ」
母ちゃんに言いました。母ちゃんは笑って、
「はいはい、食べんずに待っとるで、寄るとこで酒なんか飲まんしと、うんまいおかずでも買ってはよこと帰ってきてな」
「ありゃ? バレとったのけ。飲みとないんやけど、義理やで堪忍してくろよな」
「そんなこと気にせんでもええんやって。今夜は飲んでくるでな、でええんやさ。父ちゃんはいつまでたっても子どもみたいやもな。かわええ悪デッチやでどもならんさ」
「悪デッチはえかったな」
「酔ってまったら自転車預けて、タクシーで帰ってくるんやよ」
「わかった! 自転車かついでくるえ」
ふたりは子どもみたいに笑い合っていましたーー。
その日、母ちゃんは納屋のなかで亡くなっとりました。学校から帰ってきたぼくが見つけたのです。桶から取りだした品漬けをいれた漬物専用のポリバケツを手にしたまま、土間に倒れていました。眠っているような顔でした。そのときの母ちゃんの姿は、死ぬまでぼくの目と心から消えることはないでしょう。ぼくが小五で、姉ちゃんが中一のときやった。
何がなんやらわからなんだ。その日の朝まで元気やった人が、とつぜんこの世からおらんようになってまったことが、信じれなんだです。毎日聞いとった声が、ぱたっと聞こえんようになってまったことが、ウソみたいやった。
三十六歳の若さで、くも膜下出血とかいう聞いたこともない病気やった。頭のなかの血管が破れてまう病気やそうでした。そういえば、何日かまえに頭が痛いとか吐き気がするとか言っていましたが、家のだれもがただの頭痛やと思っとりました。
頭の血管が破れたなんて苦しかったやろに、眠っとるみたいな表情やったのが、残った家族のせめてもの慰めでした。
母ちゃんより四つ上の父ちゃんは、布団に寝かされた母ちゃんの枕もとに、寒いのにストーブもつけずに長いこと座って、母ちゃんと仲のよかった隣の田中のおばさんに口紅を塗ってもらった母ちゃんの顔を、黙って見ていました。
母ちゃんは家のことや畑仕事で忙しくて、口紅なんてめったにつけたことがありません。それでも、母ちゃんは目のきれいな美人やと思います。よそ行きから帰ってきて、疲れたもんでひと眠りしとるといった、どこかのお姉さんと間違えそうな若々しい顔をして、眼をとじていました。ときどき父ちゃんの肩が震えて、鼻をすする音が聞こえます。ちぢんだように背中が丸くなっていました。
父ちゃんは、それからめちゃくちゃに働きました。工場が休みの日なんか、母ちゃんが死んだときに首に巻いとった赤やピンク色のはでなスカーフを、恥ずかしげもなく、お守りのように昼も夜も鉢巻きにしていました。
「おりたちがしっかりせんと、母ちゃんが泣くぞう! 母ちゃんに元気なとこを見せてやれ」
大きな声で言って、ぼくや姉ちゃんの肩をたたいては、「ホイッ、ホイッ、ホイサッサ!」泣き声みたいな掛け声をかけるのです。つらそうに眉をよせた姉ちゃんは、そんな父ちゃんの腕を、「わかった、わかった、しっかりするさ!」と言いながら、いたわる顔をして叩いていました。
母ちゃんの誕生日に父ちゃんがプレゼントした電動自転車が、軒下に母ちゃんが置いたときのままの姿で立っていました。母ちゃんはこの自転車で、いつも家族のために、片道二十分近くかかる町まで食材や日用品を買いに行ってくれたのです。父ちゃんは、〈さるぼぼ〉のついたキーホルダーのぶら下がったハンドルをなでながら、
「母ちゃん……、母ちゃんッ」これまで聞いたことのない、迷子の子どものような声で言うのでした。
どこに目を向けても、母ちゃんの姿がありません。声が聞こえません。若いころに大阪で働いとったときに憶えた、母ちゃんお得意のお好み焼きのにおいもしません。ぼくは、父ちゃんの手伝いをしながら、なにを見ても母ちゃんを思い出して、泣いてばかりいました。
「おめたちが……しっかりせなんだら、母ちゃんが………悲しむんやぞ」
そう言ってしかる父ちゃんのひっくり返ったような声は、とぎれて聞きとりにくいのでした。
お酒は体に合わないと言って、つき合いでしか飲まなんだ父ちゃんが、青い顔して毎晩飲むようになっていました。休みの日は昼間も酒くさいときがありました。納屋には日本酒や焼酎の空き瓶がごろごろ転がっていて、母ちゃんが漬物を漬けていた桶が、乾いて埃をかぶっているのでした。
父ちゃんも死にました。母ちゃんが亡くなって一年半後の梅雨時の小ぬか雨のふる朝、布団のなかで生温かくなっていました。敷布団がどす黒くふくらむほど血を吐いていました。それでも母ちゃんとおなじように、おだやかな顔をしていました。どうかすると、笑っとるみたいにも見えるのでした。
「あんだけ仲がえかったんやも、母ちゃんが迎えにきたんやろか」田中のおばさんは、ぼくと姉ちゃんの手を握ると、「父ちゃんのほうから行ったんでないやろかなあ? 父ちゃんや母ちゃんは、あんたたちのことがどんだけ気がかりなことやろか。ふたりとも、負けたらだしかんよ。父ちゃん母ちゃんが安心するように、しっかり生きていくんやよ」
おばさんは、びっくりするほど涙を流しながら励ましてくれました。おばさんがそばにいてくれて、どれほど心強かったかしれません。ぼくも姉ちゃんも、感謝の気持ちでいっぱいです。
第三章 母ちゃんの実家へ

ぼくたちは、隣の市にある母ちゃんの実家に引き取られました。
最初のころ、もうじき還暦を迎えるばあちゃんは、母ちゃんが倒れとったときのことを何度も訊きました。ぼくや姉ちゃんが答えるたんびに、「まんだ若いのに可哀想(かわええ)ことしたなあ」いま初めて聞いたみたいに、涙を浮かべるのでした。
何回もおなじことを訊ねましたが、ある日を境に、不自然に思えるほど母ちゃんのことは口にしなくなりました。その代わり、なにかと姉ちゃんに話しかけるようになりました。
ジャガイモの小芋を油で炒めて、しょうゆと砂糖で煮た〈ころいも〉を、姉ちゃんに手伝わせて作ったり、姉ちゃんにアズキナの天ぷらを揚げさせたりしていました。娘に料理を教えているおっ母さんみたいやった。料理しとる姉ちゃんを見て、涙ぐんでいることもありました。
無精ひげを生やして急に老けこんで見えるじいちゃんは、畑仕事に出るまえに、欠かさず母ちゃんの写真が飾ってある仏壇に手を合わせるのでした。
住んでいた家は、叔父さんの知り合いが、都会から来て農業をやりたい人に貸してやるのはどうか、と言っているそうで、叔父さんにぜんぶお願いすることになりました。
父ちゃんも母ちゃんもおらんようになって、毎日ぼんやりしていました。はじめのころは、なにを食べても味がしませんでした。家族で交わした言葉や、冗談言って笑い合っとる父ちゃんや母ちゃんの顔が、思いがけないときに心に浮かんできて、どうしたらいいのかわからんようになるのです。姉ちゃんに八つ当たりしたり、姉ちゃんから叱られたりの繰り返しでした。
姉ちゃんは斐太高校に通っています。叔父さんたちに迷惑をかけたくないからと、中学を出たら働くと言っていましたが、
「おめは勉強頑張っとるんやで、高校に行け。心配するな。おりも若いころおめたちの母ちゃんにえろう世話になったで、恩返しや」
叔父さんが高校へ行かせてくれたのです。
つらいときに、よくええ高校に受かったもんやと、姉ちゃんを誇らしく思います。ぼくも高校に行かせてもらえることになっているので、姉ちゃんとおなじ高校に入れるように勉強して、叔父さんに恩返しせんならんと、気持ちを引き締めとるとこです。
じいちゃんやばあちゃんも、おばさんもよくしてくれます。二人の小学生の男の子たちも、すぐにぼくたちにうちとけてくれました。
「いっぺんに子どもが四人に増えてまって、父ちゃんの細腕ではどもならんさ!」
母ちゃんと違ってめったに冗談なんか言わない叔父さんが、無理にちょけているのがわかる顔をして、姉ちゃんやぼくを笑わせようとしてくれるのでした。
第四章 姉ちゃんとの道すがら
両親のことを思って、相変わらず気持ちが沈んでまうこともありますが、「テレビなんかでみるみたいに、地震や大雨のせいで、おりたちとおなじような悲しい目に合っとる人もいっぱいござるけど、みんな負けんしと生きとらはるんやもなあ」と姉ちゃんと話して、メソメソせんようにしています。
ある日、学校から帰る道すがら、心に浮かんできたことがありました。父ちゃんは、大好きな母ちゃんのもとへ行けたんやで、かえってよかったのかもしれんのやーーと。
「死んだ人たちが行く世界があるんやったら、父ちゃんも母ちゃんに会えたし、母ちゃんも大好きな父ちゃんが来てくれて、よろこんどるんでねえやろか。おりたちはさびしゅうてどもならんけど、父ちゃんや母ちゃんには、えかったんでねえやろかなあ。いまごろは生きてござったときみたいに冗談言い合って、笑ってござる気がするんやさ。おりたちのこと、ふたりで見守ってくれとると思うんやさなあ」
姉ちゃんはぼくが言うことをうつむいて聞いていましたが、シャキッと顔を起こして、母ちゃんによう似とる目でぼくを見ると、
「そやなあ。そやなあ! あんたもたまにはええこと言うんやなあ。ええ子、ええ子!」
母ちゃんみたいな言いかたして、ちょけてぼくの坊主頭をなでながら、明るい声をあげて笑いました。
まじめな顔になった姉ちゃんは、
「田中のおばさんが言ってござったけど、わたしたちが元気で暮らしていくことが、父ちゃんや母ちゃんの供養になるんやもな」ぼくの腕をしっかりつかんで言いました。「父ちゃんやったって、母ちゃんが死んだときに〈おめたちがしっかりせなんだら、母ちゃんが悲しむんやぞ〉って言ってござったし、ようわからんけど、死んだ人と生きとる人は、どっかでつながっとるんでねえかと思うんやさ。父ちゃんや母ちゃんの子どもは、あんたとわたししかおらんのやで、ふたりで力合わせていろんなこと乗りこえていこうな。ちゃんとした人間になって、父ちゃんや母ちゃんを喜ばしてやらまいか」
「そやなあ。そやなあ! 姉ちゃんもたまにはええこと言うんやなあ! ええ子、ええ子!」
さっきの姉ちゃんのまねをして、母ちゃんの姿を見とるような気のする姉ちゃんと目を合わせたまんま、ぼくも久しぶりに笑い声をあげました。このときほど、姉ちゃんがおってくれてえかった! と思ったことはありません。姉ちゃんのなかに、父ちゃんや母ちゃんが住んでござるような気がしたのです。ぼくのなかにも。
まとまりもなく長々と書いてすんません。また会いたいです。暑くなったり寒くなったり、おかしな天気がつづいとりますので、風邪ひかんように気をつけてくれんさい。姉ちゃんも手紙を書くと言ってます。いつもありがと。
そしゃ、今日はこのへんで。
飛騨弁・方言の解説
| 飛騨弁 | 意味・標準語 |
| いてくれなんだら | いてくれなかったら |
| 遅うなるで | 遅くなるから |
| 飲まんしと | 飲まないように |
| 堪忍してくろよな | 勘弁してくれよな |
| どもならんさ | どうにもならないよ/しょうがないよ |
| 悪デッチ | 悪い小僧・いたずらっ子(愛情を込めた言い方) |
| えかった | よかった |
| おりたち | 私たち(「おり」は「私」の飛騨弁) |
| 負けたらだしかんよ | 負けてはいけないよ |
| まんだ若いのに | まだ若いのに |
| えろう世話になった | たいへんお世話になった |
| ちょける | ふざける・おどける |
| ござる | いる・おられる(尊敬・丁寧の意を含む飛騨弁の常用語) |
| そしゃ | それでは・じゃあ(別れの挨拶にも使う) |
まとめ
両親を相次いで亡くしながらも、飛騨の言葉で語りかけるように綴られた少年の手紙は、悲しみの深さとともに、家族の愛がいつまでも心のなかに生き続けることを静かに教えてくれます。「姉ちゃんのなかに、父ちゃんや母ちゃんが住んでござる」――そのひとことに、この物語のすべてが宿っています。どんなに遠くへ行っても、大切な人はいつもそばにいる。読み終えたあと、そんなやさしい温もりがじんわりと残る作品です。









