飛騨の山あいに伝わる春祭り。戦国の世から幾百年、村人たちが酒を酌み交わし、笑い、泣き、歌い続けてきた夜がある。東京でひとり暮らす〈洋子〉が、幼なじみのコウちゃんへ書き綴った長い手紙。飛騨弁がこぼれ落ちる言葉の端々に、故郷への愛惜と、いのちのはかなさへの眼差しが滲む。照れくさくも真剣で、滑稽なようで切実な、ひとりの女の本音が詰まった手紙をどうぞ。
第一章 春祭りの夜へ
コウちゃん、春祭りのときはありがとねえ。東京に帰ってきたら、お祭りのときのことが懐かしくてたまらなくなっちゃって、あたしの唯一の楽しみの日記というか、心に浮かんでくる〈よしなし事〉を書きつらねたもの〈今回はコウちゃんに語りかけるみたいに書いたんだよ〉を、送らせてもらいました。
パソコン印字で手書きでなくてわるいけど、暇なときに読んでくれたらうれしいです。とつぜん酔っ払いの繰り言みたいな手紙なんか出しちゃって、ごめんね。
今夜はお待ちかねの春祭り。あたし、根がまじめで(だれも言ってくれないから、自分で言うからね!)なにかと思いつめる性格なのよね。ひと月もまえから今日という日を一日千秋の思いで待ってて、いいかげん待ちくたびれちゃった。子どものころなんか、遠足が楽しみで楽しみで、熱出しちゃったこともあるくらいだもんね。
村の有志のみなさんたちからの、ふるまい酒を飲み放題とくれば、みみっちいいまのご時世じゃなおさら、ありがたすぎて酔い泣きがとまらないってとこよね!
飲み放題といっても、あたしは熱燗五勺(古いなあ)でヘラヘラ笑いがとまらなくなっちゃう、〈軟弱硬派的引く手皆無の姥桜〉だと皆さんご存じだから、気楽なのよねえ。
ふだんは東京暮らしゆえ、交通費がちと痛いわね。深夜バス使えば安いんだけど、六時間もバスに揺られてると、いまだに乗り物酔いで吐きたくなっちゃうから、贅沢しているわけじゃなくて新幹線と特急しかないのよね。それでもお祭りには万象繰り合わせつづけて毎年参加で、三十半ばを過ぎちゃいました。
この祭りに集う人たちには、だれが出世したとか、失業したとか、財布落としたとか、玉の輿に乗ったとか男運が超悪いとかなんて、関係ないのよね。だからあたし、毎年なにがあっても参加してるってわけよ。
相手の諸事情なんかいっさい関係なく、あたしのこと無条件に〈そこにいるべきかけがえのない存在〉みたいに、認めてくれるんだもの。都会じゃありえない。品のない言葉つかっちゃって申しわけないけど、ここの人たちは肛門、いやだッ、まちがえた! 〈ケツの穴〉が小さくないのよね。みごとに大きいのよ。
こうした心情って、あたしのようなチョイ悪女(チョイ悪なんて死語よね)には、ことさら沁みてくるんだなあ。この土地の人たちの気質なのかしらね? あたしだってこの土地で生まれ育ってるんだけど、なんの因果かみなさんには遠くおよばないんだなあ。そんなみんなが、大好きだよーッ。
いい歳こいてチャラってそうに見えるでしょうけど、根は〈すこぶる〉古風でクソまじめで通ってるわよね? 通ってないかあ(笑)。故郷の春祭りだけがあたしの人生で唯一の楽しみごとだと、公言してはばからない、筋金入りの〈お一人様〉ということで、こんなど派手なカンカコカンの鶏頭楽の衣装みたいなナリも、大目に見てよね。春先からカンカコカンの稽古の音が聞こえてくると、ワクワクして宿題なんか手につかなんだもな。
「おさびしい楽しみでねえけ」なんて言う幼なじみもいるけど、ちゃんと他人に対する思いやりがあって、好意的にからかっているのがわかるから、「そうなんやさー。おさびしいの。あんたあ、慰めてくれよー!」なんて、冗談返しながら人前で抱き合えるのよ。
人情の薄っぺらなほかの土地でからかわれたら、こうはいかないからね。「おさびしい楽しみでわるかったな。てめえに迷惑かけてんのかよ? 血のめぐりのわるそうなでくの坊に、言われたかねえんだよ!」と啖呵きっちゃうわねえ。人間なんて十人十色なんだもん。人生の機微がわからないような人間に、でかい面なんかさせてたまるもんか。
あたし、いつのまにかこんな荒っぽいセリフが、浮かんでくるようになったのねえ。心、すさんでるかしら? 自分でも驚いちゃった。
第二章 松倉山の夜風と一期一会
コウちゃんさしおいて惹かれてしまいそうなお兄ちゃんも、なにかお手伝いしてあげたくなっちゃうお年寄りも、飲んで食べて笑ってる。みんなを見てると、〈いいですねえ。エラーしても笑顔です〉みたいな、なぜかことさら笑顔をもてはやす高校野球じゃないけど、あたしたち人間には、笑顔がいちばんお似合いの気がするの。
松倉山のてっぺんにいまも石垣が残ってる、落城前夜の松倉城で、討ち死に覚悟の酒盛りをしている武士たちを見ている、とでも言ったらいいのかしら、この場にいる一人ひとりがたまらなく愛しいのよね。どんなに仲がよくても、翌日とはいわないけど、いつかは必ず全員、この世からいなくなっちゃうんだもの。
そう考えたら、眼を合わせるのもせつなかったりしてさ。同郷人の仲間意識ってやつ? それとも、一期一会の呪縛かしら。なに考えてんの! 呪縛なんて失礼よネ。訂正いたします。
「いましかないんやさ。なあ、明日なにが起きるかなんてだれにもわからんのやで、いまこの瞬間を大切にして、なにがなんでも飲んで楽しむしかないんやさ。酒は足りとるですかあ?」
いつもは無口なのに、いわくありげな事情通とでもいった口調で言うなり、口をひん曲げてベソなんかかきだした、小六のときに同級生だった美由紀ちゃん。あんた泣き上戸だったっけ? グッドタイミングであたしの思いを代弁してくれてるじゃん。あたし二年まえに、腐ったタコに大当たりして死にかけたから、美由紀ちゃんの気持ち、よーくわかる! ほんと、明日何があるかわからないもんね。じいちゃんからかって、娘さんみたいな笑い声あげてるばあちゃんたちの気持ちも、わかる気がするんだよ。
「みんな、いじらしいよ! 大好きやよー。じいちゃんも、ばあちゃんも、同級生も下級生の諸君も、みんなみんな、大好きやよーッ」
心がほのぼのしてきて、大声出しちゃった。申しわけありません! 春の宵をしみじみと心を通わせて過ごすのがしきたりなのに、場違いにわめいたりしちゃってごめんなさい。
あたし、好きでやってるんだけど、東京で一人暮らしじゃん。仕事から帰ってきても、だれも待っててくれないわけよ。お祭りのときぐらいしか、ハメをはずせるような場をつくってないから、こうしてどんどん舞い上がっちゃうのよね。
信じられないかもしれないけど、あたしって見かけによらず、子どものときから人一倍感じやすくてさ、あんまりピリピリしてて、自分でもつらかったんだ。他人があたしのことどう見てるかとか、あの人思ってることと正反対のこと言って、いい子ぶってるとか、いまこんな気持ちなんじゃないかしらなんて、ビンビン感じちゃうのよね。
あたしの妄想かもしれないけど、こういうのって、けっこうストレスたまるのよ。顔と合ってないって? そんなの、言われなくても本人がいちばんわかってるわよ! だから見かけによらずって言ったでしょ。そういうのを、蛇のあんよって言うんじゃないの。
みんな知ってることだけど、あたしの母ちゃん、都会で働いていたときにあたしを生んで、母親であるあたしのばあちゃんに預けたままどこかへ行っちゃって、それっきりよ。こんな山村でも、ぶっ飛んだことする人間がいるんだよね。母ちゃん、今ごろ生きてるのか死んでるのかもわからないけど……。
村の人たちはやさしかったのに、子どもの頃のあたしは、なにかにつけてメソメソ泣いていたんだよね。三年前に亡くなったばあちゃんだけが、あたしの頭をなでては、いっしょに泣いてくれたっけ。あたしも、泣きたい人たちに、ばあちゃんがしてくれたようなことをしてやりたいんだけどね。現実は、人の役に立つようなこと全然やってないんだ。
スマホに電源入れてたって、〈こんど食事でもしようよ! 相談に乗ってくれない?〉なんて電話もメールも来やしない。気楽といえば気楽だけど、さびしいときだってあるから、人間の心の動きなんて全然定まらなくて、面倒くさいわけよ。ましてや恋なんて、あたしには酔っぱらったときの勘違いでしかないんだから、世話はないわよね(大笑)。
東京の仕事先で知り合った人に、子どものときにおとなたちから手ひどく扱われたり、学校でイジメられたりしてきた娘さんがいるんだけど、その子は幼くして心の奥深いところで、〈世の中は絶対に自分を受け容れてくれないんだ。世の中なんて、自分には縁のないところなんだ〉と恐れ恨んで、人間不信に陥ったり、対人恐怖になったりしたんだって。子どものころに受けた心のキズは、おとなになっても消えないんだってさ。そうだと思うよ。心の傷は肉体の傷なんかの比じゃないんだよ。
消えないどころか、痛みがどんどんひどくなっていくと言ってた。ずっと一人で痛みを引きずってきてるそうよ。軽々には言えないけど、その気持ち、あたしもわかる気がする。
心を許してつらい過去のことを話してくれたのに、彼女になんにもしてあげられないでいるのが、悔しくてたまんないのよね。かといって、両親を知らずに育ってるけど、やさしかったおばあちゃんのおかげで、彼女みたいに心身両面の激痛までは経験してないあたしが、取ってつけたような慰めなんか言っても、よけいに傷つけてしまいそうだしね。
第三章 無礼講と人生のメリーゴーラウンド
世の中なんて、乗り手だけが次つぎと入れ替わる、メリー・ゴー・ラウンドだとしたらさあ、たまに会ったときくらいは、コウちゃんの好きな〈無礼講〉でいくしかないよねえ。堅苦しいこと言うようだけど、人間が腹を割って話す方法をつきつめていけば、礼儀なんて二の次になるんじゃないかしら。
少しくらいの失礼があったって、老若男女、お互いがわかりあえることのほうが、ずっといいと思わない? 無礼講、大賛成よ!
油断するとすぐに理屈っぽくなって申しわけないんだけど、必ずいつかは消えてしまう命のいじらしさ、はかなさを考えたら、長幼とか男と女とかなんて、無関係もいいとこじゃない? そりゃあ、〈あくまでも礼儀は守らんならんぞよ〉、とおっしゃる〈酸い甘噛み分けた〉お人たちがいらっしゃることくらい、わかってるけどさ。
さっき美由紀ちゃんから聞いたんだけど、村長さんが趣味で作ってるイチゴが、今年は予想外の豊作だったんだって。
なんとかオトメをまねて、〈深山男(みやまおのこ)〉なんていうブランド名を考えて、大々的に売り出そうなんて話もあるらしいけど、イチゴに〈おのこ〉はミスマッチじゃない? 赤いイチゴを見て、男を連想する人間なんかいないよねえ。イチゴと男の組み合わせなんて、イメージ湧かないし。村長さんに提言しておくのも、親切ってものよね。
どんぶりに山盛りの赤い実を、一人でたいらげちゃったのは、あたしのとなりに座ってる村役場のマドンナ、二十二歳、独身下戸のタエちゃんです。みんな飲むのに夢中で、イチゴにまで手がまわらないのよね。
キスの上手そうなぷっくり唇を、イチゴの汁だらけにした妖艶な放心状態で、たとえはわるいけど、ヘビがカエル呑んで夢見心地みたいな、焦点の合ってなさそうな目をしたうえでの薄ら笑いとくれば、男衆を刺激してあまりある! ってとこじゃないかしら。
まるで頭のなかも部屋のなかも極彩色渦巻く、〈妖しくも艶なる世界〉から、たったいま余韻引きずりはせ参じたところ! といわんばかりのタエちゃんだけが、浮きあがっちゃってるんだもの。しかも、そのたたずまい、あたしでさえクラッとしそうなんだからさ。
あたしにも、あんな年頃があったのよね。ほんとに、人生なんてアッという間に過ぎ去ってしまうんだから、うかうかしてらんないわよ。うかうかしてたつもりはないけど、十六キムスメがもう三十路半ばとは、いかがなものよ。
腕なんかあたしより太い、雑貨屋のウワバミおばさんは、ビールを真夏の麦茶のように飲みまくって、男とまちがえそうな野太い声で、泣き笑いじゃないの。なにが哀しいのかなにがおかしいのか、はたの者にはサッパリわからないのがご愛嬌かしら。かとおもえば、床板ゆらして盆踊りの定番、〈飛騨やんさ〉なんか踊りまくるんだもの。心のバランスをとろうとしているのかもね?
人のことを、ウワバミおばさんなんて失礼な呼び方しちゃいけないわよね。〈自己の心の動きや感情を表出できるのはこの瞬間しかない〉、といった態度は、あたしとそっくりだもの。表出よ、表出ッ。表現よりかっこよくない? 高校の文芸部のときからつづけている語彙ノートにいまごろ書きくわえた、あたしにとっての新語なんだからよろしくね。
いいのいいの、イチゴ独り占め、ビールがぶ飲み、盆踊り踊りまくり、なんでもあり! そんなことができるのも、生きているからこそだもの。べつにしんみりした話で気を引こうなんて気はこれっぽっちもないけど、あたし、なにもかもが生きているあいだだけのもの、だと思ってるのよね。
せめて生きているあいだだけでも、みんなと仲良くやりたいってこと。笑っていたいってわけよ。
「みんなを見とってわかったんや。喜怒哀楽のタネなんてもなよう、一人ひとり違うものなんやなあってことがようわかった。ええ勉強さしてもらったさ。ありがてえこっちゃ」
イチゴのタエちゃんの上司で、ところかまわず落語を語る、三十二で役場の〈苦情承ります課〉の課長補佐に抜擢された、あだ名もジュゲムというお兄ちゃんが、場違いなテンションと口調で話しだしたでどもならん。
「笑ったり哀しんだりして、それぞれの人生を、一人ひとり終えて消えていくんやなあ」
知る人ぞしる栃の実模様、漫画のおサル、もしくは文金高島田の多毛症的ずっしりカツラ、とでも言ったらいいかしら、くっきり富士額のジュゲムが、自分の言ったことに感動してるのか、三十そこそことも思えない、じじむさい半眼と腕組みでうなずいてるんだもの。やっぱ、どもならんのやさ。
そんなこと、言われなくてもみんなわかってるわよ。とりたてて言うほどの問題じゃないんじゃない?
人生のはかなさみたいなことさえ口にしていれば、ものに深く感じ、折にふれて考え込んでいる人間に、見られるだろう的な顔しちゃってるところが、言いたかないけど、あたし自身を見ているようでイラつくのよね。見られたくもない裸を見られたみたいな、おさまりの悪い気分になっちゃうんだよ。
かっこいい人生哲学を語っているのだ、とでもいわんばかりの顔つきしてるけど、その言いかたが、セリフを憶えようとしている中学生の演劇部員みたいで、自分の心の奥からあふれ出たような切実感がぜんぜん感じられないのよね。そんな言い方じゃ、絶対相手に伝わらないからね。
あたしも若いころ散々やっちゃって恥かいたんだけど、本に書いてあったことや人が言った言葉をいじくって、まるで自分が考えたような顔してドヤ顔で語るのって、ほんと、かっこわるいよね。出どころを知っている人は、あえて言わないだけでちゃんと知ってるんだもの。まさに〈穴があったら入りたいんでっしゃろ?〉的な行いだわよ。
それに気がついて以来、いくら貧しい頭であっても、自分の頭に浮かんできたことを語るようにしよう、と決めたんだ。
彼、今夜も〈シラミのぷんぐり〉とかいう落語をやるらしいわよ。退屈なはなしを長ながとやるようだったら、小気味よく頭ひっぱたかせてもらうからね。ウソだよー。他人様の頭なんかおいそれと叩けるもんですか。カッコづけで言ってるわけじゃないけど、そんなさびしいこと、できるわけがないじゃん。
ジュゲムのことが嫌いだとか、顔を見るだけで虫唾が走るなんてことは全然ないのに、あたしさっきから、恨みでもあるんじゃないかと勘繰られそうなほど、キツイこと言ってるよね。
せっかくのお祭りなのに、一年分のストレス発散みたいに、人の言動にいちいちコメントしたり、自分の狭くるしい考えを他人に押しつけたりしちゃってさ。ゴメンね! あたし、さっきから恥ずかしいことやってるよね。このオンナ、なんなのさ?(笑)
ごめんね、ジュゲム! あたしって、度量のせまい厭味ったらしいヤツよね。この村の人たちのほんとのお仲間になれるまでには、相当かかりそう。マジで、なれないかも。でも、ぐじぐじ尾を引いて愚痴をたれるようなことはしないから、安心してね。
第四章 はんちくてえ総領坊ちゃんと、歌うあたし
「はんちくてえなあ! 長男やもんで、都会に出とうてもでれんのやさあ!」
酔いがまわって大声あげはじめた総領坊ちゃんたちは、家に縛られているウップンも、相当たまってるみたい。さっきから音程のはずれた耳障りなダミ声で、途切れることなくうたい散らしてるもの。ちょっとうるさいけど、あたし、こういう雰囲気好きだなあ。
ここには文句を言うような、しみったれなんかいないのもいいじゃない。他人の楽しみを、むやみに否定しないんだよね。
戦国時代から、春になったら夜も昼もなく、村じゅうこぞってお祭りだったんでしょう? 何百年もまえから変わることなくお酒を飲んで、笑ったり泣いたり、大声あげたりしてたんでしょう? あたし、なんでかこういうのに弱いんだなあ。みんな生きてる、みんな生きたのね! って感じがするのよ。
昔の人も、それぞれがなにかしら辛いものを抱えていたんだろうなあ、それでもみんな必死に生きていたんだろうなあーーなんてこと考えてると、胸がいっぱいになっちゃうの。いっとくけど、これ、とってつけたような〈お涙ちょうだいセリフ〉じゃないからね。
お祭りに出てると、老いも若きも、泣き上戸も笑い上戸も怒り上戸も、みんながいじらしくなっちゃってさ。みんな親類縁者に思えてくるんだよね。どんな縁なのか知らないけど、一度きりの人生でめぐり合った人たちだもの。
酔っちゃった! また人の迷惑かえりみずに、根拠なしの独りよがりなこといっちゃったわね。まさに酔っ払いの繰り言だわよね。ああ、酔った! シラフにもどったら、つましく地味なあたしにもどるから、いまだけは許してちょうだい。
酔いしれた心に浮かれた春の夜風ーーときなすったわよ。おぼろ月夜も菜の花もないけど、幼なじみたちの飲みっぷりには、拍手を送っちゃうぞーッ。お酒がまわって、人のことだか自分のことだかわかんなくなっていそうな、懐かしいみなさまのまえで、今年のあたしは、うたわせてもらいますよーう。あたしの歌声披露するのは、これが最初よね? ああ、不整脈がでちゃいそう!
今日のために、半年もかかって作詞作曲した歌を、高校時代の文芸部の後輩にギターを持ってきてもらって、スター気取りでうたうけど、よろしくネ。あたし自身に言い聞かせてるような歌だから、イメージふくらまないと思うけど、聴いてくれんさい。
なにはともあれ、ささ、みなさま、押しつけがましゅうて堪忍してくれんさりょ。あたし、うたわせてもらいますで! ちょっとのあいだかんにしてくれんさいよ。これも一期一会ってことでなーあ……。
ボロン ボロン ボロンとチューニング確認してから、
ボロローン ボロローン ボロボロ ボローン
ボロリーンコ ツンテレリンリン
とイントロとまいりまして、はいッ、
心を閉じてまったらなあ 心が枯れてまったらなあ
生きとらんのもおなじことー
心は砂にもなれば 空にもなれるんやよ
あんたもあたしも 砂なんかにゃなりとうない
なりとうないッ
あんたの温もりとなあ
酒を お酒を もうちょっと
ハアッ テンテコテン テンテコテン
砂なんかにゃ ハイハイッ
なりとうない!
(間奏)
ボロローン ボロボロボローン
ボロボロリーンコ ツンテレリン
なにもかんもが飛んでって 移り変わってまう世でな
見えるものとは あんただけ
ほかにはなんにも見えん あんただけ
あんただけしか 見えんのほんとやよーい
ほんとやよーい
あんたの温もりとなあ
酒を お酒を もうちょっと
ハアッ テンテコテン テンテコテン
せめてあんたと ハイハイッ
飲むしかない!
第五章 コウちゃんへ、これからも
予想外の反響ーーどちらかといえばと、やけくそめいた拍手と、老若男女いりまじった意味不明のわめき声と嬌声が、おさまったときだったわね。町でいちばん繁盛している居酒屋の大将で小学校時代からの友だち、というより、あたし、あのころから大好きだった、そう、あなた、コウちゃんが、酔ってひび割れたやっかみまじりに聞こえる声で、こう訊いたわよ。
「あんたの温もりやってえ? あんたって、だれのことよ?」
「知りてえのけな?」
「そりゃ知りてえさ」
「あれこーわい! たあけやなあ! あんたに決まっとるなけな」
「なぬう? おりけえ? このおりけえッ? ケケーッ、ケケケーッ。照れてまうなけーッ」
コウちゃんは、いつもはクールな女好きのする眼を三倍くらい大きくして、苦み走った風貌には似合わない、寝ぼけたニワトリめいた声あげてたわね(笑)。歌にうたわれたのが自慢でじまんでたまらない、とでも言いたげに、メタボになりかけた体よじっちゃって、フラダンス愛好家親父ってとこだった。
これみよがしに人さし指で自分の鼻をさしながら、
「おりやってかあ?」
なんども胴間声張りあげては、得意そうに一同を見まわしてるんだもの。かわいかったわよ。
「なんえ、おりけッヘヘヘーッ。おりゃまた、てっきり学年一のモテ男のジロちゃんにうたっとるのかと思ったのよーッホホホーッ。おりやってかあ。このおりやってかあーん、うーんホホホーウ!」
なんでこんなに喜ぶのだろうと、こちらが恥ずかしくなるほどの喜びようで、豊作祈願の〈満面笑み太郎〉のお気楽お面顔負けの、不審者まがいの笑うおじさんに変身しちゃってる。
「バーカ。嘘ついたんやさ! おめなんかであるわけねえに。ケケーッ、ケケケーッ。ジロちゃんに決まっとるなけな」
むかっ腹が立ったもんで、コウちゃんの口調と笑顔をまねてふざけたら、満場大受けのゲタゲタ笑い。コウちゃんなんか涙流して笑ってたもん。
コウちゃん、二年まえにまだ若い奥さんをがんで亡くしてるのよね。二人でお店に出ていて、おしどり夫婦ぶりは町でも評判だったんだから。人の気をそらさない奥さんのやさしい客あしらいと、コウちゃんの顔つきからは想像もできない人の好さとひょうきんなところで、けっこう繁盛してたんだもの。このお祭りにだって、いつも二人で来てたよね。
コウちゃん、笑えるようになってよかったね。よかったねえ!
でもさ、このお祭りがお開きになって、家に帰ったときのコウちゃんのこと想像したら、うれしいのか哀しいのかわからなくなっちゃって、お酒、冷やでコップ一杯半も飲んじゃった。情けないけど、あたしには完全に限界超えてるのよね。
せっかくのお祭りだってのに、酔い寝なんかしちゃってさ。吐かなかっただけまだましってとこだった。気がついたら、村長さんのお開きのあいさつなんだもの。悔しいったらありゃしないわよ。東京から高い交通費かけてやってきたっていうのにさ。もっとみんなと話したかったなあ。
自分の心に誓ったの。来年の春祭りには、もっともっと他人(ひと)の気持ちを察することのできる人になって参加します! わかったようなこと言いません、自分の物差しだけで世の中を測ったりなんかしませーん、なんてね。きれいごとばっかり並べてるわね!
ちょっとクサイかしら? やっぱり理屈屋の本性出てるかしらね?〈他人の気持ちを察することのできる人になって〉が気持ちわるいって? 三十女が、社会に出たばかりのウブな新入社員が言いそうな殊勝なこと口走っちゃって、しおらしい! くらいのこと言ってくんない?
お祭りのときくらいは大目に見てちょうだいな。人生、一度きりなんだもの。他人に迷惑かけたり心を傷つけたりしないかぎり、なんでもありでいきたいのよね。
最後までネチネチと理屈っぽいわね。金魚のウンコみたいに長ながとあたしの思いばかり書き連ねちゃって、かんにな。自分でも鼻についてきた。謝るしかありません。よっぽどストレス溜まっとるんやろかね。
こればっかりは屁理屈抜きの飾り気のない心で、コウちゃんのこと応援しとるでな。おたがい、これからもいろんなことがあると思うけど、くじけることなく生きていこうね。約束やよ。
恋人でもないのに、長ながと書いてかんにやよ。じさま、ばばさまになっても、春祭りでいつまでも会ってようね!
飛騨弁・方言の解説
| 飛騨弁・方言 | 意味・標準語 |
| なんやさ/んやさ | 「〜なんだよ」「〜なのよ」。文末に付く断定・強調の表現 |
| おさびしい | 「寂しい」。飛騨では「おさびしい」と丁寧なニュアンスで使うことがある |
| はんちくてえ | 「中途半端で情けない」「半端者だ」という意味の飛騨弁 |
| でれん | 「出られない」。「出る」の否定・不可能形 |
| おり/おりけ | 「俺(自分)」「俺のことか?」。男性の一人称として使われる飛騨弁 |
| たあけ | 「馬鹿」「アホ」。愛情を込めた軽い罵倒語としても使われる |
| なけな | 「〜じゃないか」「〜でしょう」。念押しや確認の語尾 |
| どもならん | 「どうにもならない」「手に負えない」「困ったもんだ」 |
| かんにな/かんにやよ | 「堪忍してね」「ごめんね」「許してね」。「堪忍(かんにん)」が訛ったもの |
| くれんさい/くれんさりょ | 「〜してください」「〜してくださいな」。丁寧なお願いの表現 |
| まったらなあ | 「〜してしまったら」「〜になってしまったら」。「まう(しまう)」の活用形 |
| 応援しとるでな | 「応援しているからね」。「〜でな」は飛騨弁で「〜だからね」の意 |
| じさま・ばばさま | 「おじいさん・おばあさん」。飛騨・山間地域での親しみある呼び方 |
まとめ
飛騨の春祭りを舞台に、東京で一人暮らす女性がコウちゃんへ書き綴った手紙。飛騨弁が随所に弾ける言葉の中に、故郷の人情への深い愛着と、いのちのはかなさへの眼差しがしみじみと溶け込んでいます。笑って泣いて、ときに理屈っぽくなりながらも、「せめて生きているあいだは笑っていたい」という願いは、だれの心にも響くはずです。来年もまた、あの春の夜に会いましょう。









