この記事では、飛騨弁で綴られた短編小説「ヘアピンと鼻水」を掲載します。
舞台は、昭和39年度に日枝中学校を卒業した同級生たちの集まり。
二十年ぶりの同級会で、ひとりの男性が古びたヘアピンを手に、若き日の初恋を語りはじめます。
笑い話のようでいて、読み進めるほど胸の奥がじんわり熱くなる物語です。
飛騨弁の響き、昭和の教室、初恋の記憶、そして人生の終わりに近づくなかで大切にしてきた「宝物」のような思い出を、ゆっくり味わってみてください。
作品を読む前に
この作品は、飛騨弁の語り口が大きな魅力です。
標準語に直すと意味は伝わりやすくなりますが、人物の温度や土地の空気感は少し薄れてしまいます。
そのため本文は原文の味わいをできるだけそのまま残し、途中に「読みどころ」や「飛騨弁メモ」を添える形にしています。
ヘアピンと鼻水
二十年ぶりの同級会
昭和39年度第18回卒業、日枝中学校3Aの同級会の出席率、70パーセント。
「いっぺえ集まったなあ!」
二十年ぶりに顔を合わせた三十五人が、喜び合った。
「宴もたけなわのところではありますが、上原裕之君のお話が、ありまーす。トンジ、どうぞ!」
市役所に勤めている幹事のカメゾーが、昔ながらの甲高い声で、唐突に上原を紹介した。
「お話も弾んどるとこに、ぶしつけに割り込んですんませんが、このヘアピンのことを、話さしてもらいますで、よろしゅうたのんます」
宴会場の前に立った、クラス一の道化者で人気者、上原のトンジが、節くれ立った太い指でつまんだ、二、三本のヘアピンを、へたな手品師のような手つきで示して、深々と頭を下げた。いささか面食らった感じではあったが、拍手がわき起こった。
「みんなの前であがっとるわけでねえんやけど、最近は、ちょっと動くだけで息切れしてまって……、歳やなあ」
トンジは、中学生当時そのままのはにかんだ笑顔で、話しはじめた。
久恵との思い出
読みどころ
ここから、トンジの語りが本格的に始まります。
「おり」「ござらん」「かんにしてくれ」など、飛騨弁ならではの柔らかさが、思い出話の温度をそのまま伝えてくれます。
「今日は、旧姓杉山久恵さんが来てござらんで残念やけど、久恵さんとおりの話をしますで、聞いてくれんさい。(拍手)。
みんなも覚えとると思うけど、あのころ、おりと久恵さんとの仲は、半分、公認やったろ? 知っとる人は知っとって、知らん人はぜんぜん知らんやろけど、そんときの話です。久恵さんのことは、昔どおり久恵って呼び捨てにせんと、別人みてえで話しにくいで、呼び捨てをかんにしてくれな。
久恵は、なにかとよう笑う気のええ子やった。おりが、ちょっとでもちょけたこと言うと、かわいい声で「腹痛てーッ」って言いながら、腹おさえて笑っとったさ。(「そやった!」と、数人の男の声がかかる)。
あの子が笑うと、こっちまでうれしゅうなったもんや。ほんとに楽しそうに笑っとったでな。おりは、このはなししりゃ、久恵はぜってえ笑うってわかとったもんで、笑わしてばっかおったもんやった。
おりたちゃ、二年生でおなじクラスになったときから、好き合っとったんやさ。(盛んに口笛)。冗談ばっか言うとこも似とったし、テレビの話で、笑うとこなんかもおなじやった。
休み時間に、おりがソロバン代わりの笛持って、「あなたのお名前、なんてえの?」ってやったら、すぐに久恵が踊りだいて、「杉山久恵と、申しますう!」って、合わせてくれたでなあ。こういうのを気が合うって言うんやろな。家も近かったしな。
おりは勉強はどっちかっていや、できなんだ。どっちかっていうとなんて、おこがましいさ。いまになりゃ時効やけど、おりなんかここに来てござるみんなの中で、成績はドベやったはずや。ほとんど1か2で、たったひとつ4が外坪先生の技術家庭やった。
英語なんか、久恵がたいがい平均点くらいでおりは十点前後やった。『正しいと思うものを、次のア~オのうちから一つ選べ』式の問題は、けっこうまぐれで当たったもんやけどな。(明るい笑い声がわき起こる)。
二年生の二学期になっても、Are you・・・・を、アレヨウと読んどったくれえやで、英語のできん生徒のうちで、おりの右に出る者はおらなんだ。英語、ぜんぜんわからーんて言いよった、そこにおる寺田やったって、四十点は取っとったでな」
「四十八点取ったこともあるぞ!」
土産物屋を自営している寺田が、あのころの細い声とは大違いのダミ声で笑った。
「小野先生はあきれてまって、おりには当てんようになった。かといって、冷とう無視してござったわけではねかったんや。
当てんかわりに、「上原、テープレコーダー頼む」って、しょっちゅう職員室から重てえテープレコーダーを持ってくるように、頼まはったもんや。体がでこうて、力があったでな。みんなも覚えとると思うけど、今のカセットテレコなんかと違って、当時のやつはでっけえリールに巻いたテープ回す、えれえ重てえやつやった。
おりは、テープレコーダー運びが楽しみで、頼まれるのがうれしかった。堂々と職員室に入っていけるんやでな。そんなことでもねかったら、職員室なんて縁がねかった。
おそがい先生が、職員室ではほかの先生と楽しそうに笑ってござって、びっくりしたこともある。教室では見れん先生の姿見て、「そうかそうか。ほんとはそうなんや」なんて、うれしゅうなったもんや。
十二月になったらそのテープレコーダーで、小野先生の好きなビング・クロスビーとかいうアメリカの歌手の〈ホワイト・クリスマス〉って歌を、何度も聴かされたこと覚えとるろ?(覚えとる。覚えとるよー! の男女の声)。
おりなんか、ぜんぜん意味わからなんだけど、何度も聴いとるうちに丸暗記してまって、ぜんぶ英語で歌えるようになってな。家中でびっくりしとったもんや。
うちには、意味わかる者はだれもおらなんだけど、母ちゃんなんか、「裕之が英語で歌う、英語で歌う!」って、涙ぐんどったもな。
学校帰りに、節つけんしと歌詞だけしゃべりながら歩いとったら、近所のおばさんが、
「裕ちゃん、英語話せるんか?」
ものすごびっくりした顔してござったことを、昨日のことみたいに覚えとります。
勉強は苦手でも、学校が好きだった
飛騨弁メモ
「おそがい」は「怖い」という意味で使われています。
先生を怖がる気持ちだけでなく、当時の教室の空気まで感じられる言葉です。
どういうもんやら、小学校の五年生から、算数がぜんぜんできんようになりました。できるのは九九ぐらいのもんやで、自分でもあきれてまうさ。
中学に入って数学になったら、ますますわからんよになって、0点取ったことなんか何回もあった。十五点とったときゃ、おりのほうがびっくりしてまうくれえやった。
そんな成績でも卒業できたで、ありがたかったです。
勉強ができなんでも、学校に行きとねえなんて思ったことは、ただの一度もねかったでな。なんてったって久恵に会えるし、おりの話にみんな笑ってくれるし、学校に行くのが毎日楽しみやった。
近ごろ社会問題になっとるイジメや不登校なんて、おりたちのときには考えれなんだもな。からかったりすることはあったけど、心を傷つけるようなこと言ったり殴ったりして、不登校にさせてまうようなことはせなんだ。いまの世の中、ぜってえおかしいさ。
このクラスは、ほんと仲がえかったなーあ。勉強ができる人もおりみてえにできん者も、男子も女子も、なんでもいっしょにやったでな。みんな友だちやったさ。(拍手)。
久恵が教えてくれた宿題
三年生の夏休みまえやったろか、久恵が宿題を教えてくれたことがあってなあ。理科の宿題やった。自慢でねえけど、おりは宿題してったことなんか、一度もねかったんやさ。
家に帰りゃ、山行って近所の子どもたちで木のうえに秘密の小屋つくったり、ゴムのパチンコでスズメ撃ったり、川でウグイやドテカブをヤスで刺したり、 たまにゃ家の手伝いしたりで、どう考えたって宿題やっとるひまなんか、あるわけねかったんや。
久恵は勉強ができるくせに宿題はしとらなんだみたいやで、その子が宿題やってきただけで、なんかどえれえことが起きたみてえな気がしたもんです。いっつも以上にかわいく見えたし尊敬もしました。(口笛と拍手)。
理科の石垣先生が、
「宿題やってきた者は、手えあげてみ」
と言わはったもんで、おりはこのときばっかは、
「ハーイ!」
みんなのうちでいちばんでっけえ声だして、手えあげました。先生は、びっくりした顔でおりを見ると、
「こりゃめずらしいこともあるもんや。そしゃ、問い一の答え言ってみよ」
と言わはった。
「カエルはヘソのない生き物のひとつ、でえーす!」
おりは得意になって、ますますでっけえ声で久恵が教えてくれたとおりに答えたです。
おかしてえな間があったあとに、みんながえれえ笑うでねえけな。いちばん笑っとったのは久恵でねかったかな?
「胃から出る消化酵素が、どして、カエルのヘソになってまうんや?」
先生は、眉(まげ)をしかめて笑ってござったけど、すぐにおそがい顔になって、
「ふざけるのも、ええかげんにせんか。立っとれえ!」
耳が痛うなるほどのでっけえ声で怒鳴らはった。殴られんだけましやったさ。(二、三人から、覚えとるぞ! の声あり)。
軍隊時代は曹長って位やったそうで、怒るとおそがい先生で有名やった。そやけどそんときのおりは、はじめはわけわからんずにポカンとしとったけど、わけわかったあとも、全然おそごなかったし、久恵にも腹は立たなんだ。
腹が立つどころか、その反対やった。斜め前に座っとる久恵が、先生に見られんように振り返って、申し訳なさそうに拝むかっこうしたもんで、おりは、ニコッと笑いました。立たされとったあいだじゅう、久恵とこっそり眼え見合わしてや、ふたりで、にこにこしとったです。
答えが合っとろうがおらまいが、そんなこたどうでもえかった。久恵が教えてくれたことを、みんなの前で発表できただけで、うれしかったんやさ。 共同作業とでも言ったら、ええんやろか。彼女と、ひとつのことをいっしょにやったってことが、どえれえうれしかった。
えらい話がそれてまって、すんません。ヘアピンの話をせんならんのやったな。
卒業、そしてそれぞれの道へ
次の年の三月には卒業や。三年間なんて、まったくあっというまやった。学校生活もこんで終わりやと思うと、さびしかった。
たしか、卒業式の日は大雪でねかったかな? (そやった! の声あり)。 雪道を学校に通うことものうなるんやと思うと、歩きにくい道も懐かしいものに思えたです。
おりは四月生まれで、卒業してひと月ほどすると十六になるんやけど、久恵は二月生まれで、十五になったばっかやった。
二人とも就職組で四月から働いとった。おりは手先だけは器用で、技術家庭の授業で作った椅子は、校長室に置かれとったこともあります。
そんなわけで、今日来てみえる稗畑先生が、骨折ってくらはった。
国語の先生やった稗畑先生が、「工場の人に読んでもらうで、木工細工について作文書け」って言わはった。そんでおりは、『木工細工は、ぼくの手に職です』って題名の、作文を書いた。そんときゃ、「天職」って言葉を、「手に職」やと思っとったんやさ。
稗畑先生は大笑いしてござったけど、このままでええってことで、家具工場の人に見せたんやと。
先生のおかげで、クラスでいちばんできなんだ者が、家具工場に、勤めることができたことを、いまでも感謝しとります。おかげさまで、今日までやってこれました。稗畑先生、ありがとうございました。(トンジは稗畑先生に深々と頭を下げ、稗畑先生は大きくうなずいて、「おりなんかなんにもしとらん。おめが頑張ったんやさ」と手を振った)。
久恵は、愛知県の紡績工場に行きました。
初めてのキスと、ヘアピン
読みどころ
この場面は、作品タイトルにもつながる大切な場面です。
「ヘアピン」と「鼻水」という、きれいごとではない記憶が並ぶことで、初恋の不器用さや人間らしさがより強く伝わってきます。
五月の連休やった。久恵が家に遊びにきてなあ。たったひと月、会わなんだだけやに、一年くらい会わなんだ感じやった。久恵の顔見たら、もうちょっとで泣いてまいそうやったです。
家にはおりしかおらなんだ。えかな? 家にはおりたちだけやったんやぜな。なんでなら、おりしかおらんときに久恵を呼んだんやで、あたりまえや。(笑い声)。
久恵は、給食のパンやボツボツの銀紙で包んだ、キャラメルみてえなマーガリンを分けてくれたり、誕生日プレゼントに自分が使っとったウクレレくれたり、やさしゅうしてくれた、たったひとりの特別な女の子やった。
そんなわけで、先生やみんなの前で恥ずかしいけど、あの子が家に来たときに、自然にキスしてまってなあ。(ヤジと拍手、女性陣のキャーで、しばし騒然)。
もちろん、お互い初めてやったです。いまはどうなんか知らんけど、あのころの田舎の十五、六の子どもが、キスの仕方なんか知っとるわけねえです。ただ唇をめちゃくちゃ押しつけ合うだけのチューやった。
お互いの歯が当たって、石みてえな音がするのが、新鮮な驚きやったです。女の子の歯も硬いんやなあ! なんて、へんなことに感心しながら、長いこと唇合わせたままやった。(男女入り混じったため息やくすくす笑い)。
ちょうどそのときやさ。あいにく風邪引いとったおりは、キスしとるうちに鼻水が出てまいそうになってなあ。
せっかく生まれて初めて合わせた唇やで、離してまうのが惜しゅうて、唇を合わせたまんま、音たてて鼻水すすりあげてまったでこわいさ。
喉の奥から出てきた鼻水は、そのまま飲んでまったでかんにしてくれんさい。(「あれ、こーわいさ!」、「どえれえかっこ悪いなけ!」の声あり)。
すんません。たしかにかっこ悪うて失礼なことやったと、今ごろになって反省しとるんですさ。初めてのキスやっていうに、唇合わせたまんま鼻水すすっても、なんにも言わなんだ久恵のやさしさは、忘れんでな。
お待たせして申し訳なかったけど、これはそのときに彼女が落としてった、ヘアピンなんやさ。(ふたたび駆け出しの手品師まがいの手つきで、ヘアピンを示した)。キスしとるうちにとれてまったんやろも。
彼女が帰っていったあとに、畳のうえにニ、三本落ちとりました。それを見つけたときの、胸がキューッとなる気持ちは、いまもよう覚えとります。物見て胸が痛とうなったなんてことは、これが初めてやった。おりはヘアピンを紙に包んで、ずっとずっと大事にしとったです。
いまではすっかり錆びてまったけど、これを見るたんびに、この歳になっても胸がキューッとなって、息苦しゅうなってまうんやさ。
病院の先生からは、不整脈があるし血圧も高いで、酒も控えて気をつけんにゃだしかんて言われとるけど、このときの胸キューッはぜんぜんちがうでな。
このピンで、耳のうえの髪を留めとったんやろか。
それとも、前髪留めとったんやろかなあ・・・・。
久恵の結婚
そんな久恵も向こうで働いとるときに、十九で結婚してまいました。(「あーあ!」、「そりゃ、きついわい」の声あり)。
働くようになってから、ずっと文通しとったんやけど、そのうちにだんだん手紙も短こうなってきたし、それまではどんに少のうても、ひと月に二回は来とった手紙も、ひと月に一回、ふた月に一回になり、おかしいなあと思っとるうちに「わたし、好きな人ができました」、やもな。半端なショックでねかった。何食っても味がせんようになってまってな。やっぱ、離れとるとだしかなんだんやなあ!
だんなさんはおなじ工場の先輩やっていうで、かなうわけねえんやさ。毎日会っとれるんやもなあ。
このへんのいきさつは、今日来てみえるおなじ工場で働いとった旧姓高原さんが、よう知ってみえると思います。(高原さんが盛んにうなずいている)。
そのとき、おりはハタチでした。ハタチでおとなっていうけど、とんでもねえ。おりなんか中身はまんだ子どもで、立ち直るにだいぶ時間がかかりました。お盆や正月に、夫婦で帰ってきた久恵に会ったらどしたらええかと、びくびくしとりました。
いま、久恵さんは美濃のほうに住んでみえるって、さっき高原さんから聞きました。可児市やったかな? 大垣市やった?(大垣と言う高原さんの声あり)。ああ、大垣やったな。ありがと。男の子ばっか三人おって、二人は小学校と中学校の先生で、一人は市役所に勤めてみえるってはなしや。ええ子に育てた、ええおっ母さんやさなあ!
そやけど、あのころを思い出すと、十五のおぼこい娘がおりの眼を見たまんま、照れくさそうにニッコリしてくれるんやさ。
その顔を思い出すと、この歳になっても・・・・はや五十七やけど、これから久恵との新しい世界が始まるんや、と胸ドキドキさせとった十六のころに戻ってまうで笑ってまうさ。(だれかの口笛と、いじらしい! という女性の声)。
一生の宝物
ヘアピンの話は、これで終わりです。
(トンジは、深々とお辞儀をしたが、なにかを思い出したようにあわてて拍手を手で制した)。
すんません! 言わんならんこと、忘れとった。もちょっと言わせてくれんさい。
いま話したことは、うちの母ちゃんが聞いたら気分悪いと思う。そやけど、初チューの人が結婚相手っていう運のええ人以外は、たいがいみんな、おりと似たようなせつない経験しとるんでなかろか。 ダンナさんも奥さんも、心の中にときどき思い出す人が、おるんでねえやろか?
そやけど、これはお互いを裏切っとることには、ならんと思うんやさ。こればっかは成り行きで、どうすることもできんことでねえんやろか?(なんとも名状しがたい、どよめき)。
そんに、おりやったって、久恵さんのこと毎日思い出いとるわけでないもな。現実の生活があるでなあ。
頭のなかってふしぎなもんでねえけな。おかしな言い方やけど、覚えとることはいつまでたっても覚えとるんやでなあ。
どんだけ思い出しても、ちっとも古うならんしと、はっきりと残っとるんやもな。四十年も前のフィルムやカセットテープやったら、何度も回しとりゃとっくに擦り切れて、使い物にならんやろに。
なんやかんや言っても、ええ思い出は一生の宝です。
貴重なお時間やに、長々と話してまってすんませんでした。ありがとごぜました。
先生と同級生たちの言葉
トンジが、ふたたびお辞儀をしたときだった。
「トンジ、ばんざーい!」
それまで眼をつぶったり頷いたりしながら聞いていた稗畑先生が、突然立ち上がって叫んだ。
「工場に出した手に職の作文のこと、よう覚えとるぞ。木は人とおんなじで、気持ちをこめて扱わんとだしかんです、って書いてあったこともな。おめが工場に勤めだして間もないころ、工場の人がおめのことをほめとった。ええ人をよこしてくれたって、えれえ喜んでござったぞ。おりゃ鼻が高かったさ。それにしても、話しベタやったおめが、人前でようそんだけ話せるようになったもんや! えれえぞ。ようやった!」
八十近くになられた先生は、入れ歯が合わなくなったのか、しゃべりにくそうだったが、生徒を思う心のこもった口調は、昔と変わらなかった。
「トンジ、そんでええんや! そんでええんやぞ。おめはええ人生歩んどる。久恵との思い出、大事にとっとけよ。おめの言うとおり、一生の宝や!」
わたしたちは、先ほどよりも力が入ってふるえたような先生の大声に驚いて、シンとなっていた。だが、
「そんでええぞう!」
日枝中3Aの生徒たちは、だれかが叫んだのをきっかけに、
「そんでええよー。一生の宝やよー!」
「そや、そや! そんでええんや。よう話してくれた!」
口々に叫んでいた。
普通だったらおどけて返すトンジが、丸太みたいに突っ立ったまま、どうおどけたらいいのかわからなそうに、眼をきょろきょろさせているのだった。
そのうちに、天井の一点を見つめていた彼の眼から、涙があふれてきた。
「トンジに乾杯の音頭とってもらって、宴会の再開や!」
太い指で眼をこすって、泣きじゃくっているトンジに、中学のときから面倒見のよかったカメゾーが、ビールのグラスを持たせると、
「ええ話やったぞ。久恵もおりゃえかったにな」
トンジの肩をたたいた。
「みんな! ありがとなあ。おりの長たらしい話を、よう聞いてくれてよ。こんにうれしいことは、子どもたちの結婚以来、ねかったさ。なんやら、久恵さんのこと話したら、胸の中がポカポカしてきて若返った気分やさ!」
「わたしなあ、久恵ちゃんに今日のこと電話しとくでな。上原君と久恵ちゃんの話、えかったよって。懐かしかったよって。工場に行ったころの久恵ちゃん、あんたのことばっか話しとったんやよ」
駆け寄ってきた高原さんが、もらい泣きしてトンジの手をとった。
「そうか、そうか。おりのこと、話に出とったけな。ありがとなあ! みんなの前でおりたちのこと話して悪かったけど、かんにしてくれって、よろしゅう伝えてくれな」
トンジは、握った高原さんの手を何度も振った。片方の手に持ったビールがこぼれて、カメゾーがビールを注ぎ足した。
「久恵ちゃんに、ちゃんと話しとくでな」
高原さんはトンジの濡れた手を、何度もうなずきながらハンカチで拭いた。
「今日のことは、ぜってえ忘れんでなあ。みんな、ありがと! やっぱ、三Aは最高や。ほんとに三Aでみんなといっしょにおれて、幸せやった。みんな、いつまでも友だちでおってくろな! そしゃ、稗畑先生はじめみなさんの健康を祈りまして、乾杯!」
乾杯がすむと、全員がトンジや稗畑先生を取り囲んだ。だれもが屈託のない四十年前の中学生になっていた。
ひと月後の知らせ
それからひと月ばかりしたころ、トンジが亡くなったという知らせを受けた。心不全とのことだった。
トンジは、自分の死を予感して、久恵さんとの話をしたのだろうかと、電話をくれたカメゾーは電話の向こうで涙ながらに繰り返した。
わたしは、中三の夏休みに千島のドンドコ(堰)で、トンジとふたりがかりで、大きなウナギを獲ったときのことを、思い出していた。
水中眼鏡をはずしたトンジは、日焼けした顔にうれしくてたまらなそうな笑みを浮かべて、自分の技で獲ったにもかかわらず、
「おめがおらなんだら、獲れなんださ!」
トンジは、いつも人を立ててくれたのだ。
読後の余韻
「ヘアピンと鼻水」は、初恋の思い出を描いた物語でありながら、ただの恋愛小説ではありません。
若いころの不器用な恋。
大人になってからも胸に残り続ける記憶。
それを受け止めてくれる友人や先生のあたたかさ。
読み終えたあとに残るのは、「人の人生には、他人には見えない宝物がある」という感覚です。
この作品の魅力
この作品の魅力は、飛騨弁の語り口にあります。
標準語にすると少し照れくさくなってしまう言葉も、飛騨弁で語られることで、どこか素朴で、やさしく、懐かしい響きになります。
特に印象的なのは、トンジが久恵との思い出を語る場面です。
笑いを交えながらも、心の奥ではずっと大切にしてきたものが、少しずつあふれていくように感じられます。
まとめ
「ヘアピンと鼻水」は、昭和の飛騨を舞台にした、切なくもあたたかい短編小説です。
ヘアピンという小さな物に宿った記憶。
鼻水をすすってしまうほど不器用な初恋。
そして、それを笑いながら、涙しながら受け止める同級生たち。
派手な物語ではありません。
けれど、人の心に長く残るのは、こういう何気ない記憶なのかもしれません。
飛騨弁のぬくもりとともに、昭和の青春の一場面を味わえる一作です。
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